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大阪地方裁判所 昭和49年(ヨ)97号 決定 1976年7月10日

申請人 杉田和広

被申請人 桑畑電機株式会社

主文

一  本件仮処分申請を却下する。

二  申請費用は申請人の負担とする。

理由

(当事者の申立と主張)

一  本件申請の趣旨及び申請の理由とこれに対する被申請人の答弁ならびにその主張は、別紙「各当事者の申立及び主張」に摘示したとおりである。

(当事者間に争いのない事実)

二 申請人が、昭和二八年一二月三〇日生れの男子で、義務教育修了後、昭和四四年四月大阪市立此花工業高校電気技術科に入学し、四八年三月一日同校を卒業したこと、

被申請人が船舶用配電盤、監視盤等の電気機器類の製造を営業目的とする会社(大正二年設立、昭和三八年当時の従業員数一三〇余名)で、例年高校新卒者から若干名を従業員として採用していること、

被申請人が、昭和四七年六月一〇日此花工業高校に求人票を提出し、昭和四八年春の同校卒業予定者を対象に製造部検査課員並びに技術部設計課員の二職種について従業員を募集したこと、

申請人が、卒業を一ケ月後に控えた昭和四八年二月はじめ頃、学校の進路指導課を通じて被申請人に対し製造部検査課員としての応募書類を送付し、被申請人指定の同年二月一〇日被申請人会社において筆記及び面接による選考試験を受けたこと、

被申請人は、申請人に対しその二日後の同月一二日「採用決定御通知の件」と題し「慎重審議の結果貴方の当社への採用が決定致しました。出社日時その他については三月三日までに連絡致します。同封の入社承諾書に記名捺印の上二月二〇日までに御返送下さい。」という文面からなる書面を郵送し、これに対し申請人は同月一四日保証人連署の入社承諾書を被申請人に返送し、右書面はそのころ被申請人に到達したこと、

被申請人が、同年三月二日申請人に対し「その後の情勢変化及び其の他の諸事情に依り…………採用を取消の止むなきにいた」つた旨を記載した「採用取消通知の件」と題する書面を送付したこと、

以上の各事実は当事者に争いがない。

(本件採用決定通知の性質と効力について)

三 申請人は「被申請人が昭和四八年二月一二日申請人に発送した書面による採用決定通知は、労働契約を成立させる最終的意思表示であり、右意思表示によつて当事者間には、申請人が卒業できないことを解除条件とし遅くとも同年四月一日を就労始期とする労働契約が成立し、したがつて、その後の採用取消は解雇にほかならない」旨主張するのに対し、被申請人は、右採用決定通知は契約締結過程における単なる一行為に過ぎない、として契約の成立ないしその法的拘束力を否定するので、まずこの点について判断する。

企業が新規に学校を卒業する者を従業員として雇入れる場合に、卒業期に先立つて募集を行ない、所定の選考手続を経て採用を決定あるいは内定して応募者に通知することは一般的に行われることであるが、右採用する旨の意思表示の内容なり効果は、共通する問題を含みつゝも必ずしもこれを一律に理解することはできず、当該採用決定(又は内定)通知に用いられた文言、当該企業の雇入れに関する一般的手続、右通知が発せられた前後の事情等を手がかりに、個別にこれを解釈検討するほかない。

本件についてこれをみるに、被申請人が昭和四八年二月一二日申請人に出した「採用決定御通知の件」と題する書面には、前示のとおり「慎重審議の結果貴方の当社への採用が決定致しました」という確定的な文言が用いられ、「内定」その他の申請人を採用することが未だ被申請人会社における一応の内部的決定段階にとどまることをうかゞわせる文言は一切見当らない。

しかして、疎明によれば、被申請人会社では前年の昭和四七年春此花工業高校の卒業生一名を同校の紹介で採用していたが、同人が従業員として非常にすぐれていたこともあつて、此花工業高校のすいせんしてくれる人物ならという信頼の下に、申請人について選考試験を実施し面接した結果、学校の成績はよくないが人物はしつかりしていると判断し、比較的簡単に採用に踏み切つたものであること、被申請人会社における雇入れ事務の直接の主管者である総務部庶務課長横山一男は、採用決定通知発送後の二月一四日申請人方を訪れ、申請人の両親(当時未成年であつた申請人の親権者)に対し、会社の概況等を説明するとともに、「うちの会社は景気のよし悪しに左右されることのないよい会社だから、休まず永くつとめてもらいたい」旨要望したことがそれぞれ認められ、以上の事実によれば、被申請人が申請人を採用する意思は当時確定的なものであつたと推認され、この内部的意思が採用決定通知における前記確定的文言として表示されたものと解される。

以上の考察に基づいて、前示当事者間に争いのない事実を契約法理に照して評価すれば、被申請人が此花工業高校卒業予定者を対象に行つた求人票による募集は雇傭契約申込の誘引であり、申請人の応募は右契約の申込みに、被申請人の採用決定通知は、右申込みに対する承諾にそれぞれ該当し、右採用決定通知の発送により申請人と被申請人との間にはのちに検討するような内容の雇傭契約が成立したものといわなければならない。

もつとも、疎明資料によれば、被申請人会社では、後日決定される出社日(就労の始期)に、申請人に対し辞令を交付し就業規則について説明するなどの手続が予定されていたことが窺われるが、右辞令書の交付の如きは本件採用決定通知の文言、前示通知当時の被申請人の意思に徴するときは、雇傭契約ないし労働契約についての形式的追完ないし確認的行為とみるべきものであり、就業規則の説明等の手続は前示雇傭契約成立の時点で契約内容たる労働条件の一部をなすものとして包括的に承認されている事項に関して行われる事実行為であつて、契約の成否自体にかゝわるものではないと解するのが相当である。

したがつて、本件当事者双方は、昭和四八年二月一二日被申請人が採用決定通知を発したときに成立した雇傭契約の法的拘束を受けるといわなければならない。

(雇傭契約の内容と採用取消の可否)

四 さて、申請人と被申請人間に成立した右契約の内容について考えるに、求人票に明示された賃金、就業時間、職務内容等の労働条件のほか、求人票に記載のない事項に関しては就業規則等の定めに従う旨が黙示的に契約内容になつていたとみられるし、疎明によれば、面接に際して、被申請人側が採用されたら三月中旬から出社できるかと尋ねたのに対し、申請人が、卒業後済ませたい用事があるので、自分の方から出社日を改めて申出る旨答えたことが認められるが、就労の始期については、遅くとも四月一日頃までの時期とすることが当事者間で了解されていたものと解してよいであろう。

ところで、一般に本件のような学校卒業予定者との間の雇傭契約にあつては、たとえ殊更に明示されていなくても、まず第一に予定される就労開始時期までに卒業できることが当然の前提条件となつており、第二に就労開始時期が相当期間を隔てた将来に予定されることに附随して、右就労時期までの間に自己又は相手方に特段の事情変更を生じたときは解約しうることが予定されているものと解すべきである。

さらに、雇傭契約ないし労働契約は当事者間の意思の合致のみにより有効に成立しうるものではあるが、それは、単純一回的な取引契約などと異なり、契約両当事者間の現実的継続的な相関関係を本質とするものであること、したがつて、いまだ学校卒業予定者との間に契約が成立したに過ぎず、現実に労務と賃金の授受をめぐる人的結びつきを生じない段階にあつては、雇入れた側は卒業予定者を自己の従業員として取り扱わず、採用された側でも未だ企業の従業員という意識を持たないのが常態であり、雇入れに関する若干の規定を除けば就業規則の適用される余地も少ないことなどを考え合わせると、卒業に先立つ雇傭契約にあつては、別異に解すべき特段の事情のない限り、就労時期到来まで契約の確定的効力発生を停止する旨の黙示的合意が含まれているものと解するのが相当である。

したがつて、就労始期(契約の最終的効力発生時期)到来までの契約当事者の法律的地位は、被傭者の学校卒業という条件成就を経て段階的により強固になつてゆくものと考えられるが、なお一種の条件付権利(学校を卒業しかつ解約事由が発生することなく就労期が到来した暁には、被傭者としては従業員として処遇されることを、雇傭者としては被傭者に従業員として就労してもらえることをそれぞれ期待しうる法的地位)にとどまるものといわなければならない。

このように考えてくると、学校卒業予定者に対する雇傭者側の承諾の意思表示が、「採用決定」という確定的文言をもつてなされ、また後日に特段の入社手続が予定されていないとしても、直ちに、当事者間に成立した契約が確定的効力をもつた雇傭契約だということはできないのである。したがつて、契約の効力という点からいえば「採用決定」というも「採用内定」というのと異ならない。

本件申請人と被申請人との間に成立した雇傭契約は、これを別異に解すべき事情は見当らないから、以上に考察してきたような条件及び期限付の契約と解すべきところ、このような契約関係において雇傭者は採用(内定)を取消すことができるか、できるとすればどのような事由に基づいてできるのか、が本件の主要な問題点である。

思うに、確定的効力発生までの各当事者の相手方に対する権利はいまだ一種の条件付権利ないし期待権だといつても、それは契約成立に伴つて発生する法的な権利であるから、雇傭者が正当な理由もなく相手方の利益を害することは許されないし(民法一二八条参照)、一般的に言えば、雇傭者が自己の期待権を防護するため被傭者から入社承諾書(あるいは誓約書)を徴するなどして他へ就職する機会を強く規制したような場合は、その反面として、被傭者の地位は具体的に使用従属関係にある労働者の地位に準じてそれだけ強く保護されるべきであろう。

しかしながら、そもそも学校卒業予定者たる被傭者の地位は、前述のとおりいまだ雇傭者との間に人的結びつきの薄い一種の条件付権利にとゞまるものであるから解雇に関する労働基準法二〇条その他の労働保護法上の諸規制の働く余地はそれだけ少い(換言すれば、当事者間の関係は契約法理によつて律しられる場面が多い)ことを肯定せざるを得ない。しかして、条件付契約の締結も法律行為である以上、各当事者は法律行為に関する一般法理に従つて取消又は無効の主張ができるのはもとより、黙示的に契約の内容となつている事情変更を理由とする解約を主張できるほか、雇傭者たる当事者は、契約締結当時すなわち採用決定(内定)当時判明していたら採用しなかつたであろうと認められる事由(従業員たる適格性の評価にかかわる事由)が、事後に判明したことを理由とする解除も許されるものと言わなければならない。尤も最後の場合については、当該事由の存否の判断において雇傭者に重大な過失があつて知りうべくして知らなかつたときは、もはや解除を主張することは許されないと解すべきである(民法九五条の準用)。

(被申請人主張の採用取消事由たる事実の存否)

五 被申請人は、申請人の採用を取消した理由として、申請人について学業成績の不良、学内における教職員に対する暴行等の非行、学外における家出、窃盗等の品行不良の三つの事由を挙げ、これらの事由は申請人が被申請人の従業員として適格性を欠く事由でありながら、採用決定通知後にはじめて被申請人に判明したので取消したと主張するところ、右の主張は昭和四八年二月一二日当事者間に成立した前述のような条件及び期限付雇傭契約の解除ないし錯誤による契約無効の主張と解することができる。そこで、まず右主張にかゝる採用取消事由たる事実の存否並びに被申請人が各事由のあることを知つた事情等についてみるに、疎明によれば以下の各事実が一応認められる。

1  学業成績不良の点

被申請人が申請人の採用選考に当つて学校の作成送付にかかる調査書をもつて学業成績の評価資料にしたことについては当事者間に格別争いがないが、右調査書は近畿高等学校進路指導連絡協議会所定用紙を用いて作成され、その記載項目は「入学・卒業(見込)年月日」、「教科学習成績」、「出席状況」、「行動および性格」、「特別教育活動等」、「身体状況」の六項目であるが、このうち教科学習成績の項は「1年」から「4年」までの各年次別に履習教科の成績が五段階評価方式で記載されるようになつており、申請人の成績に関する記載はつぎのようなものであつた。

すなわち、成績は「1年」から「3年」までの欄に記載され、申請人の履習科目は三年間を合して国語、社会、数学、理科、外国語、保健体育、芸術の一般教科について一四科目、電気、機械関係の専門教科について九科目であるが、このうち「1年」の「物理A」と「電気製図」及び3年の「政治、経済」が「4」の評価を与えられているほかは全部「2」又は「3」であり、二年以上連続して履習された科目についてみると学年がすゝむにつれて総体的に成績が悪化し、「3年」では前記「政治・経済」の「4」と現代国語が「3」であるほかは履習した一般教科四科目、電気関係の専門教科七科目がいずれも「2」の評価を受けている。

被申請人会社の横山庶務課長は、応募書類を受理した時点で、調査書の入学・卒業見込年月日の記載から申請人が一年留年していることを知つたが、調査書の学業成績の記載が右のように「1年」から「3年」の欄に記載され「4年」の欄が空白になつていたため、四年目の履習成績は未だ評価記載がないものと考え、また成績の悪い点を気にして、面接に先立つて留年の理由及び最終学年の成績について学校へ電話で問い合わせたところ、三年目は単位不足で留年したが最終学年の成績はよい、との回答を得たので(ただし、その回答者が誰であつたかは不明)、成績は最終年度(四年目)において上つているものと判断し面接を決めたこと、しかし、後日被申請人側に判明したところでは、前記調査書の「3年」の成績というのは、実は四年目すなわち最終学年の成績を評価記載したものであつた。

2  学内における品行不良の点

此花工業高校では、当時、授業料月額七二〇円のほかに学習費、図書費、設備器材費、教育振興費、生徒会費、PTA会費その他の名目の下に月額二二八〇円が徴収されていたが、昭和四五年夏頃、こうした授業料以外の諸会費が何ら市条例その他の法規上の根拠がないのに生徒側に当然支払義務のあるものゝように徴収され、かつその費目についてもPTA会費、生徒会費等が本来の目的に必ずしも使用されず学校運営経費として当然公費でまかなわれるべき費目に流用されていることを指摘して、この諸会費徴収を批判する生徒があらわれ、同年秋頃から一部生徒の運動に発展し、翌四六年春には生徒の中に諸会費不払同盟が生まれた。此花工業高校における諸会費は、他の大阪市立高校のうち普通科の学校のみならず、他の工業高校と比べても高額でそれだけ生徒及び父兄の負担が大きいものであつたため、右不払運動はやがて生徒全体の運動にまで発展し、昭和四六年一二月に入つてからは生徒会を中心とする活動が昂揚した。

すなわち、一二月一日には生徒約六〇名が大阪市教育委員会へ学校経費の全額公費負担を要求して押しかけ、一二月三日、同月九日と引続いて開かれた生徒総会では授業料以外の諸会費の不払が決議される一方、学校当局に対しては同月一六日までに教育長との団交が開けるようあつせんを求める決議がなされるなど、その間連日のように全校集会やクラス討議が開かれ、授業が行えないような状態が続いた。これに対し学校当局は、一二月九日、一二月に入つて以来中断している授業を翌一〇日から再開すること、一四日から二学期末テストを実施する旨発表し、その後さらに生徒と教育長との団交は持てないと通告すると共に混乱をさけるため二学期末テストの延期を決めたが、申請人を含む不払同盟のメンバー及び各クラスから選出された生徒ら合わせて一〇〇名から二〇〇名以上にのぼる生徒は、同月一五、一六日の両日にわたり、市教育委員会へ出かけて教育長との団体交渉を要求し、教育長の不在を理由に断わられると「諸会費不払を通告し諸経費の公費負担を要求する」書面を同委員会に提出して坐り込みなどを行なつた。その際対応策協議のため折りから教育委員会へ出向いていた此花工業高校の校長は生徒らに対し「来ているものは生徒とは認めない。直ちに退去しないものは除籍する」などと即時退去を求めたが、生徒らはこれに応じず却つて同校長を取り囲んでその教育姿勢、市教委に対する姿勢などを攻撃したため校長は便所へゆくことを口実にその場を逃がれるという一幕もあつた。

こうした混乱のうちに正常な授業は行われないまゝ冬休みにはいり、その間に校長も変つて三学期が始まつた四七年一月八日、学校は週あけの一〇日(月)から延期していた二学期末テストを実施すると発表した。これに対し、諸会費不払同盟にはいつている生徒らは、問題が解決していないにもかゝわらず学校当局がテストの実施を強行しようとするのは正当な自分たちの要求を無視し、生徒の団結を破壊するものだとしてテスト実施を阻止すべく申請人ら二、三名の生徒はテスト前日頃から校門付近に坐り込んでハンストに入り、テスト初日の一〇日朝には七、八十名の生徒が校門を閉めてピケを張り、校門付近に坐り込むなどしたため一般生徒の入門が妨害されるという事態が生じた。学校当局は、ピケを解き校門を開くよう説得したがテストを阻止しようとする生徒らが応じないため数十人の職員を動員してこれを排除にかかつたところ、申請人ら数名の生徒は動員された教職員に対し殴る蹴るなどの暴行を加え、その結果負傷する職員も出た。結局当日は数百名の生徒が受験しなかつたため、学校は翌一一日再度の混乱をおそれて臨時休校し、一二日には二学期末テストの中止を決めた。

申請人らを先頭とする二、三〇名の生徒はその後一月二五日頃までの間、学校当局が生徒らの要求を是認し市教委に対し積極的な働きかけをしないことに抗議する趣旨で、集団的に教員室に入つて一人一人の教員の意見表明を求めたり、あるいはそれまで諸会費不払の生徒は退学処分になるかのように言つてその支払を生徒や父兄に督促してきた事務長の姿勢を糾弾するということで学校事務室へ押しかけ、二、三十分にわたり事務長を取り囲みペン先を同人の顔前に突きつけるなどして反省を迫つたりした。

こうして同月二五日頃になつて、学校当局あるいは市教委側が、諸会費の不払があつても法的義務に基づくものではないから進級卒業には影響しない旨を表明し、その頃開催されたPTA総会でも「ゼロを目指した負担軽減運動を父母、教師、生徒三者が一体となつて行う」旨の結論を得て、不払運動による混乱は収束に向うこととなつた。

ところが、一月二七日学校は諸会費不払同盟の中心メンバーである申請人ら二二名に対し運動の過程においてゆき過ぎがあるとして特別指導の名の下に無期家庭謹慎、反省文提出を命じた。しかし、申請人らは強くこれに抗議し、殊に申請人は謹慎処分に従わずその後も毎日のように登校して最後まで「特別指導」の白紙撤回を求める署名運動などを展開したため、結局学年末試験を受ける機会も奪われ、及落判定会議でも落第が決まり、新学期開始までに反省文の提出がなければ退学させるという職員会議の決定までなされた。

こゝに、申請人は、二、三の教職員から説得されて、不本意ではあるが高校卒業の資格を取得するためにはやむなしと考え、新学期開始直前になつて諸会費不払運動に対する自己の見解を表白する一文を学校へ提出し、漸く謹慎処分を解かれて留年が認められた。

被申請人は、申請人に採用決定通知を出した当時、此花工業高校において前年の一時期諸会費不払運動のため混乱を生じたことがあることは新聞報道等によつて知つていたが、以上のようなかたちで申請人がかゝわりを持つていることについてはこれを知らなかつた。すなわち、学校作成送付にかゝる前記調査書には、申請人の教職員に対する暴行その他の行動についての記載、無期家庭謹慎処分に付された旨の記載等は一切なく、「行動及び性格」の欄には、自主性、責任感、協調性、積極性の項目において「すぐれている」の評価が与えられているのみであつた。また、二月一〇日の面接の際留年の理由を尋ねられたのに対し申請人は、「自分の考えが甘かつた、真面目に勉強しなかつたため単位不足になつた」といつた受け答えをしたのみでそれ以上の説明はしなかつた。被申請人が、教職員に対する暴行等の事実を知つた契機は、二月一二日採用通知を出したのち同月一四日横山庶務課長が所在確認のため申請人方を訪問した際、面談した申請人の母親や近隣の人の口ぶりから申請人が最近まで家を出ていたこと、判然とはしないが在学中に何か問題のある生徒であるらしいことを察知し、翌一五日会社において上司に前日の家庭訪問時の模様を報告協議していたところへたまたまかかつて来た此花工業高校の関係者と名乗る匿名の電話であつた。その電話は、申請人が、在学中教職員に殴る蹴るの暴行を働らき二、三週間の傷を負わしたり、職員室へ集団で押しかけたりして無期停学処分になつたような生徒であることを知つているか、といつた内容のものであつた。驚いた被申請人は、知己を利用して学校関係者について調査した結果、同月一九日ごろまでに前示申請人の学内における一連の行動及びつぎの学外における窃盗等の概略をつかんだ。

3  学外における暴力行為等の非行の点

申請人は高校三年に在学中の昭和四六年七月頃大阪市西淀川区出来島二丁目九番五号の両親や兄弟の住む自宅を出て自宅から自転車で一〇分前後の距離にある学校の近くに間借生活を始めたが、その動機は、高校へ入学した弟もいて自宅が比較的狭いうえ、父親や中学を卒業しただけで働いている兄が、そのころ学校の勉強よりも前記諸会費不払運動をはじめいわゆる狭山差別裁判闘争等の社会的運動により強い関心を示すようになつていた申請人にしつかり勉強するように注意するなど、申請人には家族の下での生活が窮屈なものに感じられて自活を志したものであつた。この下宿生活は留年した昭和四七年一二月末頃まで続いたが、その間申請人は平日の夜間に飲食店のウエイターを、休日には日雇人夫をするなどのアルバイトをして間借料は自分でまかない、母親が週に一度くらい下宿を訪ねて掃除や洗濯をしてやり、本人も月に一、二度は自宅の方へ帰るという生活であつた。

そのような生活状態にあつた昭和四七年三月頃のある朝申請人は日雇人夫のアルバイトに出かけようとして所持金が昼の弁当代くらいしかなかつたため、朝めしがわりに他家に配達されている牛乳二本を盗んで発覚したが、申請人には以前にも小学校五、六年生のころ百貨店でハンカチと食料品少々を万引したところを見つかり警察の補導を受けた前歴がある。

申請人が在学中長期にわたり家を出ていたこと、申請人に窃盗の非行歴があることを被申請人が知つたのは前述のとおり二月一五日以降のことであつた。

(本件採用取消の相当性)

六 さて、以上の事実をもとに本件採用決定取消の当否を検討する。

1  被申請人の挙げる事由のうち学業成績が採用決定時の被申請人の理解に反して悪かつたとする点は、学校作成の調査書の形式と記載の仕方及び学校から最終学年の成績はよいとの照会回答を得た前後の事情に照すと、被申請人が最終学年の成績について若干の誤解をしたことには無理からぬものがあるが、それまで総体的に悪かつた学業成績がにわかによくなるということは稀であるから、調査書に記載の成績から推して申請人の絶対的学力がどの程度のものであるかは被申請人にも容易に推察されたものというべく、結果的に申請人の学力について被申請人が理解したところと実際との間にはそれ程の開きはなかつたと考えられる。疎明資料によれば、成績の評価に関しては学校間にかなりの格差があることを被申請人は十分承知していたことが認められ、被申請人が真に成績ないし学力を重視するのであれば、選考に当つて容易にかつ別段の拘束なくなしうる学力試験を実施すべきところ、申請人については作文形式で常識を問う試験をしたのみで学力試験は実施しなかつたことが疎明されるのであつて、被申請人が本件において言うほどに成績を重視していたとは認め難い(疎明によれば、現に被申請人は、採用取消直後の三月二〇日ごろ申請人及び学校から取消の理由を問い質されたのに対し、極左暴力的思想傾向、窃盗の前歴、ドルシヨツクによる経営見通しの悪化をあげたが、成績の点は直接問題にしていなかつたことがうかがえる)。また、申請人が高校在学中一年半にわたつて間借生活をしていたことは、その当時の生活態度が必ずしも健全なものでなかつたことを窺わせはするが、俗にいう家出とは認められないし、二件の窃盗事件も一つは刑事免責の与えられる時代の古いものであり、他の一件は比較的新しいものではあるが、いずれもその態様において微罪であつて、これらの事由のみでは採用取消を相当とするには未だ足らないといわなければならない。さらに、被申請人が最も強調する事由である教職員に対する暴行その他の学内における非行の点についても、前後の事情に徴し、またその後の一年間無事学校生活を継続し卒業するに至つたことを考え合わせると、日常生活の場における不良行為とは違い、一つの学園紛争の場において少年の純粋な血気のおもむくところに生起した一過性のトラブルであつて、これをもつて一般企業における従業員の適格性を云々するのは当らない、とみうる余地がある。

このように、申請人の学業成績が悪い点、学外における非行の点はそれ自体ではいまだ本件採用取消を肯認する事由とはなりえず、また学内における教職員に対する暴力行為等の非行の点も若干問題が残るが、取消事由に関する前示疎明事実及び後述の諸事情を綜合的に考察するならば、以下に詳述するとおり、被申請人会社従業員として不適格の評価を受けてもやむを得ないと認められ、またこれらの取消事由に関する事実が本件採用決定当時被申請人において判明していたなら申請人に対し採用決定通知を出すことはなかつたと推量され、かつ被申請人に各事由のあることを知らなかつたことについて重大な過失があつたふしも見当らないから、本件採用取消(すなわち二月一二日条件及び期限付で成立した雇傭契約の解除)は許されるといわなければならない。

2  本件採用決定の取消が適法であると結論する論拠は以下のとおりである。

(一)  企業が従業員を雇入れる際の採否の判断は、当該企業の従業員として有用か否かという見地からなされる応募者についての綜合的評価の結論であるから、成績の悪い点とか窃盗の前歴がある点とかは、それ自体個別的にみれば本件採用取消を肯認しえない事由であつても、他の事由と相まつて取消事由を構成しうる余地のあることは否定できない。わかりやすく言えば、企業は一般に採否について一定の基準を持つていると思われるが、例えば綜合評価で一〇〇点満点の七〇点以上という合格基準を設定した会社が、学業成績一〇点、性格その他の社会的資質二五点、健康状態その他で四〇点と評価して採用を決めた者について、後日右学業成績の評価を八点に、性格その他の資質を一〇点に修正すべき事由が判明し、修正の結果合計六〇点を下まわるときは採用取消しもやむをえないとされるときは、成績の点だけなら綜合評価で採用取消には至らぬが社会的資質の減点と相まつて六〇点を割ることになり取消事由とされうるのである。その意味で、学業成績不良の点とか窃盗の前歴がある点を全く無視することはできない。

(二)  申請人の教職員に対する暴力行為等の点についてみるに、前述のような観方をしうる余地がある反面、学園内における出来事とはいえ義務教育の場ではなく申請人の当時の年令もすでに一八才で、これはその言動が社会的批判にさらされるに足る年令であり、諸会費不払運動自体の理念には聴くべきものがあるとしても申請人が最も先鋭的な一人として行つた一連の行為自体決して一般的なものではなく、学校から家庭謹慎を命じられた(これは教育目的に出でたものとはいえ一種の懲戒処分であつて、それ相当の理由がなければこのような処分に付されることはない)にもかかわらずこれに従わず、最後まで反省の余地なしという態度を取りつゞけ、その本質的態度は現在も変つていないことを綜合すると、申請人には自己の意見が通らぬときは規範とか秩序とかを無視し実力をもつて目的を遂げようとする反社会的性向及び自己の行為についての自覚と責任の欠如をみることができ、これは一定の秩序と規律の下に生産活動を組織する企業の従業員としては不適格であることを示すもの、という評価ができる。

そして、このように評価が主観的に分かれる事実が採用決定後に発覚した場合、企業が問題を否定的に評価し採用を取消すこともやむを得ないところといわなければならない。けだし、企業は、わが法制下においては広く人を雇入れるか否かの自由を有するのであり、採用するに当つては自己の危険と負担において採否の判断をするのであるから、応募者の資質適性に関する評価の自由は、それが特に公序良俗に反する等の事由がない限り、これを企業者に全面的に認めなければならないからである。

しかして、申請人は被申請人から採用取消の通告を受けた日の翌日すなわち四八年二月二〇日以降連続的に直接間接会社に採用取消の撤回を求める運動を展開し、同年八月ごろからは毎週一、二回被申請人会社門前付近に赤旗を立て赤鉢巻、腕章姿で支援者らとともに抗議行為を継続しているが、その間被申請人会社の門塀のみならず付近一円のガードレール、電柱、掲示板、国鉄駅その他の公共的施設等にも多数の抗議ビラを貼り、あるいは出勤して来た被申請人会社の庶務課長、総務部長らをとらえて会社門前付近の塀やガードレールに押しつけるなどの行為をし、あるいは同人らに対し本件仮処分申請事件の審尋期日に出頭するのか、何んのために出るのか、おかしなことをいうと承知しないぞといつた言辞を弄し、時には制止を振り切つて被申請人会社構内に押し入り、作業場付近で拡声器を用いて大声で抗議演説をしたり、被申請人会社役員の自宅へ押しかけて周辺にビラを張り拡声器で騒ぐといつた行為を繰り返したことが疎明されるのであつて、以上の事実に徴すると背景の事情をしんしやくしてもなお申請人の反規範的、独善的性向がうかがわれ、これは被申請人が申請人について従業員としての適格性が欠けると評価することを客観的にも肯認しうる事情といわなければならない。

(三)  本件では、採用取消の当否を判断する上で以下の事情も無視することができない。すなわち、申請人は学校の紹介によつて被申請人会社に応募し(たゞし、疎明によれば、申請人は昭和四七年秋郵政省の職員採用試験を受けたが同年一二月不合格となつたため、一月にはいつて学校備付けの求人票の中から被申請人会社ほか一社を選び駒井進路指導課長に相談したのに対し、駒井課長は、他の一社をすゝめたが、申請人が被申請人会社を強く希望するので不合格になることを懸念しながらも紹介することにしたもので、学校から積極的に被申請人会社をすゝめたものではないことが窺える)、前述のとおり学校は統一応募用紙を用いて応募書類をととのえこれを被申請人に送付したものであるところ、疎明によれば、昭和四〇年の同和対策審議会答申を契機に、近畿各府県の教育委員会、労働関係部局等は、広く新規学校卒業者の採用選考に当り生徒の資質、能力に直接関係のない事由に基づく不合理な差別的取扱いが行われることを防止するという趣旨の下に、地区内各企業に対し種々の要望をしあるいは行政指導をすゝめてきたが、このような動きを背景に近畿高等学校進路指導連絡協議会(各府県下公私立高等学校の進路指導主事によつて構成される協議会、研究会等の連合体)は、昭和四十六、七年ごろ各府県の関係部局と協議のうえ統一応募用紙を制定し、応募生徒の紹介はこれによつて行い各企業が独自に定める書式用紙による紹介は行わないという方針を打ち出すと共に、各事業主に対し選考と採用についての詳細な要望事項等を記載した書面を送付し、その中で「身元調査、家庭調査は、実質的には家庭の資産、条件、環境、信条、信望、風評等により、採用・不採用を左右する疑義がある」として、面接その他どのような機会方法においてであれこれらの調査が差し控えられるべきことを強く要望し、あわせてもし合理的基準による選考採用が行なわれないときは、生徒の職業紹介は行なわないことがある、と警告していること(以上は四八年の書面による)、被申請人の従前の求人先高校は此花工業高校ほか若干の専門高校に限られていたが、昭和四八年春の高校卒業生については五、六名を採用する予定であつたが、応募者は申請人を含めてわずかに二名であつたことが認められる。右事実に昭和四八年頃までの数年間はわが国経済の高度成長下にあつて若年労働者が大巾に不足していたことを考え合わせると、被申請人のような企業が毎年継続的に特定の学校から新規卒業生の紹介すいせんを受けるためには、学校や関係行政機関の要望指導に従つて独自の身元調査、素行調査をさし控え、学校作成の調査書を信頼して応募者を選考採用するしかなかつたことがうかがえる。

しかして、学校が、本件事案にみられるように、学校としては必ずしも自信をもつてすいせんできない生徒を含めて広く企業へ生徒を紹介するに際し、企業独自の調査を排して前記統一用紙によつて調書を作成する以上、少なくとも本人の資質、能力、適性に関する限りは長所のみならず短所等を共に具体的事実に基づいて調書に記載し、企業の判断に委ねるのが相当であると思われるが、前記近畿高等学校進路指導連絡協議会所定用紙にはそのような記載を目的とする欄は全く設けられておらず、その「行動および性格」欄には不動文字で自主性、責任感、根気強さ、自省心その他全部で一六の徳目があげられ、このうちすぐれている項目についてだけチエツクするという形式になつているにすぎない。このような記載からは、独自の面接その他の方法による規制外の選考の機会があるとは言え、企業側は応募した生徒の資質、能力、適性等を綜合的に評価することはむづかしいと思われる。それにもかゝわらず、このような取り扱いが現実にまがりなりにも承認されて一般に行われるのは、紹介の対象者がいわば手つかずの新規学校卒業者であり、紹介をするのが、通常当該企業との間に一定の信頼関係を保ちかつ当該生徒を熟知しているはずの学校であるが故にほかならないからであろう。したがつて、このような信頼関係に基づいて叙上のような独自の調査が相当大巾に規制された下での卒業予定者との雇傭契約については、通常新規卒業生について社会一般が予想するところにはずれる点があることが後日判明し、かつそのような事由があれば不採用になつてもしかたがないといえる社会的相当性さえあれば、前記規制の反面としてそれだけゆるやかに、さきになされた採用決定の取消を承認しなければならないであろう。

本件において、被申請人も前述のような独自の事前調査を規制されていたのであり、申請人について認められる学業成績以外の事由は、高校卒業生について決して一般的なものとはいえず、さきに考察したところに徴すると本件採用取消に社会的相当性が欠けるということはできないのである。

(四)  本件採用の取消は手続的な面からみても問題がない。採用取消事由が判明したにもかゝわらず企業がいたずらに長らく放置し、採用予定者が学校を卒業したのちまたは卒業間際になつて取消を通告するときは、卒業予定者は他へ就職する機会を奪われ一方的に過酷な結果を招来することがある。このような採用取消は、信義則上もはや許されないと解するのが相当であるが、本件についてこれをみるに、被申請人は昭和四八年二月一九日ごろまでに行つた事実調査に基づき同日横山庶務課長が申請人方へ出向いて在宅した母親(当時申請人の親権者)に採用を取消す旨を伝え、三月一日確認的に書面で通知したことが疎明され、採用取消の手続上信義則違反等の問題はないといえる。また、被申請人は、採用決定通知の直後に申請人から入社承諾書を徴しているが、本件ではこれによつて採用取消の当否が左右される事情は見当らない。

(結び)

七 以上の次第で、本件仮処分申請は、その被保全権利について疎明がないこととなり、事案の性質上保証をもつて疎明に代えさせることも相当でないから、理由のないものとしてこれを却下することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 香山高秀)

(別紙)

各当事者の申立及び主張

一 申請人

1 申請の趣旨

(一) 申請人が、被申請人に対し、労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める、

(二) 被申請人は、申請人に対し、昭和四八年四月一日以降本案判決確定まで毎月二五日限り金四万二〇〇〇円ならびに右賃金月額を基準として賃金協定によつて定まる夏期および年末一時金を各支払日に仮に支払え、

との裁判を求める。

2 申請の理由

(一) 申請人は、昭和二八年一二月三〇日生れの男子で、義務教育を修了後、四四年四月大阪市立此花工業高等学校電気技術科に入学し、四八年三月一日同校を卒業した。

被申請人は、大正二年に設立され、昭和四九年一月現在資本金三三〇〇万円、従業員数一三〇余名の、船舶用配電盤、監視盤等の電気機器類を製造する会社で、毎年高校卒業者より若干名を従業員として募集採用している。

(二) 被申請人は、昭和四七年六月一〇日、此花工業高校に対し、四八年春新規卒業予定者を対象に製造部検査課員並びに技術部設計課員を採用すべく、採用予定職種毎に各別に求人票(都合二通)を提出し、被申請人従業員の募集を行つた。右二通の求人票には、右職種欄の記載のほか、就業時間、福利厚生施設、作業内容、応募要領等が記載され、賃金に関しては、定額的に支払われる現行賃金が金三万八〇〇〇円であるとし、各求人票補足欄に「当社は六月三〇日、四八年度卒の初任給を現行賃金より四〇〇〇円増額と決定」と書き込んで、新規高卒採用者の初任給が月額四万二〇〇〇円である旨を明示していた。

(三) 申請人は、昭和四八年初め頃、学校備え付けの右求人票により被申請人会社を知り、検査課員として応募することにし、学校の進路指導課を通じて被申請人の求人に応募した。すなわち、進路指導課は、そのころ、紹介書に、求人票指定の選考書類(統一応募書類)を添付して被申請人に送付した。

これに対し被申請人は、二月はじめ頃申請人に対し選考月日を通知し、申請人は指定された同年二月一〇日被申請人会社に赴いて選考試験を受けた。当日の模様はつぎのとおりである。

申請人は、まず最初に、被申請人会社横山庶務課長より学校から送付されていた応募書類にもとづき簡単な面接を受け、ついで一般教養について筆記試験を受けたのち、社内を見学した。右社内見学では、特に申請人が応募した検査課において、仕事内容について説明を受け、検査課上長にも紹介された。その後さらに、右庶務課長を含む会社関係者から面接を受け、数日中に採否を通知する旨申渡されて退出したのである。

しかして、同月一二日被申請人は申請人に対し同日付「採用決定御通知の件」と題する書面を郵送し、右書面は翌一三日申請人に到達した。右書面には、「慎重審議の結果貴方の当社への採用が決定致しました。出社日時其の他については三月三日までに連絡致します。同封の入社承諾書に記名捺印の上二月二〇日までに御返送下さい」との記載があり、申請人は右指示に従い、翌一四日保証人連署の入社承諾書を被申請人に郵送した。

(四) ところが、被申請人は同年三月二日に至り突如として「採用取消通知の件」と題し、「早速ながら標記の件について其の後の情勢変化及び其の他の諸事情に依り不本意ながらあなたの採用を取消の止むなきにいたり、誠に残念でございますが以上御了解下され度く御通知申し上げます。」と記載した書面を申請人に送付してきた。そして、その後度々の要求にもかゝわらず、被申請人は申請人をその従業員として取り扱うことを拒否して今日に至つている。

(五) ところで、右採用取消通知は、同年二月一二日申請人と被申請人との間に成立した労働契約を解除せんとするものであつて、申請人の解雇にほかならないというべきところ、被申請人において何んらその合理的理由を明らかにしないから、右解雇は理由のない解雇として違法無効である。

(1) まず、本件「採用取消」が「解雇」であることを明らかにする。

申請人は、学校の推薦を得て、被申請人会社において入社試験を受けることにより被申請人に対し労働契約の申込みをし、被申請人は申請人に対し前記「採用決定御通知の件」と題する書面を郵送して右契約の承諾をしたものであつて、昭和四八年二月一二日申請人と被申請人との間には、申請人が同年三月に此花工業高校を卒業できないことを解除条件とし、かつ遅くとも同年四月一日をその始期とする労働契約が締結されたものといわなければならない。

被申請人は、右「採用決定通知」をもつて単に契約締結過程における会社側の一つの行為にすぎないとし、「採用内定通知」という言葉におきかえて労働契約の成立を否定するが明らかに失当である。雇用関係形成の実態あるいは雇用時における契約当事者間の力関係ないしは地位(労働者は、一社の募集に応募した場合は、他社の募集に応ずることは、不可能ではないにしても、事実上種々の制約を受けて困難であること、雇用者にとつては多数の応募者からの単なる選択の意味しか持たない「採用」も、労働者にとつては自己の生活ひいては生存すらも左右される重大な意味を持つ問題であることなど)に着目し、就労開始前における契約当事者のある一定の行為になんらかの法的意味を見出さんとする姿勢がこの種事案の裁判例に共通する姿勢であつて、本件もこのような観点から考察されなければならないのである。

しかして、本件は、労働者の応募に対する応答が「採用内定通知」なる文言のもとになされている場合、あるいは雇用者側の右応答に際して、なんらかの解約権が留保されている場合(すなわち、判例上採用内定とみられているような場合)とは異なるのである。

先ず文言において、申請人が二月一三日受領した被申請人の通知には、前述のとおり、「採用決定御通知の件」とあり、また「慎重審議の結果貴方の当社への採用が決定致しました」とあつて、「内定」なる文言は一切使用されていないのみならず、採用決定後これが取消されることがある旨のいわゆる解約権留保文言も見当らない。たゞ、申請人の卒業が当然の前提として当事者間に了解されていたにすぎない。すなわち、右採用決定通知が会社側の最終的な意思表示であることを物語つて余りある。

つぎに被申請人会社における従業員雇入れの一般的手続についてみれば、それは、先ず最初に応募者に対し選考試験を実施し、次いでその結果をもとに会社役員及び被用者の将来の所属長が協議を行つて最終的な採否を決し、採用が決定した場合は横山庶務課長にその旨が伝達され、横山庶務課長は場合によつては応募者の所在確認を行つたうえ採用通知を郵送するというもので、その後本人が会社指定の就労始期に出社するまで、なんらの行事も手続も予定されていないのである。右手続に照しても、被申請人のなした本件採用決定通知は、雇入れに際しての被申請人会社の最終的な意思表示なのである。

さらに、被申請人会社就業規則第四章第一節「雇入」にはつぎの規定がおかれている。

会社は就職を希望する者の中選衡試験に合格し所定の手続を経た者を従業員として雇入れる。

新たに雇入れられた者は、左の書類を提出しなければならない。

一、履歴書 二、健康証明書 三、戸籍謄本または抄本 四、身上調書 五、保証人連署の誓約書 六、必要により免許書、卒業証明書、学業成績証明書、保証人は大阪府に居住し独立の生計を営む成年でなければならない。

しかして、申請人は、採用決定通知に指定されたとおり保証人連署の入社承諾書を提出したことは前述のとおりであるが、右承諾書とは、この就業規則において新たに雇入れられた者(雇入れられる予定の者ではない)に対して提出を義務づけている「保証人連署の誓約書」にほかならないのである。すなわち、申請人は、就業規則が新たに雇入れられた者に対して課している義務すら果しているのである。

以上記述してきたところを綜合すれば、昭和四八年二月一二日申請人・被申請人間に申請人が同年三月此花工業高校を卒業できないことを解除条件とし、かつおそくとも同年四月一日を労働提供の始期とする労働契約が締結されたと解すべきことは明らかであろう。

(2) したがつて、いわゆる採用取消が解雇に外ならないことも自明の理であるところ、被申請人は右が解雇であることを是認せず、これを前提として解雇原因も明らかにしようとしないのであるから、本件解雇の違法無効はすでに明らかである。

(六) 仮に本件採用取消をもつて解雇ではなく採用内定の取消だという誤つた被申請人の主張をあえて前提にするとしても、被申請人主張の取消事由は以下に述べるとおりいずれも失当である。

(1) 被申請人は取消理由の一つとして申請人の学業成績の不良をあげ、被申請人会社の業務が、正確性、技術性を要求されるものであるから、成績不良者は採用することができないという。

申請人が第三年目には単位を修得しなかつたこと、そして学校を一年留年したこと、第四年目の成績が五段階評価において「現代国語」が「3」、「政治・経済」が「4」であるほかは全部「2」であつたことは事実であるが、右被申請人の主張には明らかに矛盾があるといわなければならない。なぜなら学業成績と業務上の成績ないし能力とはかならずしも一致しないものであることは公知の事実であるからである。

またもし、被申請人においてほんとうに被用者の能力を重視して採否を決するというのであれば、専門知識あるいは技術の習熟度を会社が独自の立場で検討することがあつて当然であろう。しかるに被申請人は、一般常識についてのみ試験を行い、右のような措置を一切とつていないのである。

このことから直ちに明らかになることであるが、学業成績に関する限り、被申請人は、せいぜい工業高校を卒業できる程度の学業があればよいという観点で労働者を採用していたものである。現に被申請人の人事担当者である横山庶務課長は、成績表の正確な意味内容について十分な理解がなかつたこと、申請人の採用にあたつては、「成績は悪いけど人物はしつかりしているなあ、というのも頭にありましたので、これは間違いないだろう」と判断して採用を決定した、すなわち成績の点は問題にもしていなかつたことは、同人の陳述録取書に明らかである。

以上のとおり、成績不良は、採用取消後被申請人会社が口実としてつくりあげたまつたく合理性のない理由といわざるを得ない。

(2) 被申請人が次にあげる理由は学内非行の点である。被申請人は、申請人が学校教職員に対する暴行を働いて昭和四七年はじめ頃無期停学処分に付せられているにもかゝわらず、本人提出の履歴書には「賞罰なし」と記載され、学校の作成にかゝる調査書にも右処分に関する記載がなかつたと主張するが、申請人が無期停学処分になつたという事実はない。被申請人は、申請人が自宅謹慎の指導を受けた点をとらえて、右のように主張しているものゝ如くであるが、処分としての無期停学と指導としての自宅謹慎は教育上まつたく別異のものに属するのである。被申請人は、不正確な情報によつて得られた不正確な事実認定をもとに申請人の適格性を云々しようとするもので、それ自体なんらの合理性も有しないものといわざるを得ない。

ところで、申請人が受けた自宅謹慎のきつかけは、此花工業高校において当時生徒の要求運動として展開された学校教育費の公費負担問題をめぐつてであつた。しかして、教育費の公費負担問題は、憲法二六条の定めるひとしく教育を受ける権利に関係するきわめて重大な問題であつて、此花工業高校生徒の非常に真摯な姿勢から発したものであつた。このことは、此花高校教職員ですら、生徒らの要求は、当然のことであると認めざるを得なかつたことによつても明らかである。

なるほど、申請人を含む多数の生徒が校門付近ですわり込みをし、ピケを張り、あるいはそのような経過のなかで教職員との間に若干のトラブルがあつたことは事実ではあるが、右はむしろ当然の要請・要求であるにもかゝわらず、学校側が教育的な観点から対応することを怠り、問題の根本的な解決を図る努力をしないでただひたすら教育日程のみを消化しようとしたことに究極的な原因があるというべきであつて、申請人を含む多数の生徒達の行動は、彼らのおかれていた立場からしてまことにやむを得ないものがあつたのである。

のみならず、右は学校内でのできごとであり、かゝる問題は学校内部で教育の観点から解決が図られるべき事柄であり、本件において申請人が「今後の行動についての自分の考え」と題する書面を学校へ提出したことですでに解決済みのことである。第三者である被申請人がこれに藉口することは許されないと言わなければならない。

被申請人の主張する第二の取消理由は全く合理性に欠けるもので失当である。

(3) 被申請人が第三にあげる理由は学外における品行不良である。その具体的事実として、被申請人は、高校在学中家出をしていたこと、窃盗等の非行があつたことをあげるが、前者について言えば昭和四六年七月から四八年一月まで両親宅を離れ下宿した事実はあるが、家出をしたわけでも親や学校に居所を明らかにしなかつたわけでもない。後者の窃盗の件は、うち一件は申請人が小学校五年生のときのことであり、他の一件は高校在学中のことではあるが偶発的なもので、かついずれも極めて軽微なものでなんら処分の対象とされなかつたものである。

これらの事実は、申請人の適格性を判断するうえで、合理的な資料とするにはあまりに些細なことがらであつて、この点についても被申請人の主張は全く理由がないものといわざるを得ない。

(七) 以上のとおり、被申請人の本件採用取消(解雇)は、どのような点から観ても合理的理由を欠き無効なものであるから、申請人が被申請人に対し労働契約上の権利を有する地位にあることは明らかであるというべく、申請人はおそくとも昭和四八年四月一日以降被申請人の高校新卒者の初任給である月額四万二〇〇〇円(支払日毎月二五日)並に右賃金月額を基準として賃金協定によつて定まる夏期及び年末一時金の支払を受くべき権利を有するものであるところ、申請人は、現在無収入であり、本件採用取消により就職に対する当然の期待を不当に侵害され、あまつさえ生活の手段を全く失うに至り、その損害は本案判決確定をまつていては回復しがたいこと明らかである。

二 被申請人

1 申請の趣旨に対する答弁

本件申請を却下するとの裁判を求める。

2 申請の理由に対する答弁

(一)項の事実を認める。ただし、被申請人の資本金は、三三〇〇万円ではなくて、三三〇万円である。

(二)項の事実を認める。

(三)項の事実中、申請人が昭和四八年二月一〇日被申請人会社において、筆記試験、面接試験を受けたこと、被申請人が申請人に対し同月一二日主張にかゝる「採用決定御通知の件」なる書面を郵送したこと、申請人が主張のころ入社承諾書を被申請人に郵送してきたことは認め、その余の事実は争い又は不知。

(四)項の事実中、被申請人が同年三月二日主張にかかる「採用取消通知の件」なる書面を申請人に送付したこと、申請人を従業員として取り扱うことを拒否して今日に至つていることを認め、その余を争う。

(五)、(六)項の主張は、後述のとおりこれを争う。

(七)項の保全の必要性に関する主張を争う。

3 本件採用取消理由と取消の正当性についての主張

(一) 本件採用決定通知及び採用取消通知の性質

(1) 被申請人が申請人に対して発した昭和四八年二月一二日付採用決定通知は、単に雇用契約締結過程における会社側の一個の行為にすぎず、従つてその後の採用取消通知も右契約手続の進行を中止する通知に過ぎず、無条件でなしうるものであつて、適法なる取消というべきである。

(2) 仮に前記「採用決定御通知の件」なる通知により何らかの労働契約(条件付ないし始期付といわれる)が成立しているとした場合においても、それは採用内定にとどまる。すなわち、採用内定というのは、採用内定通知後入社に至る期間のことを指し、仮に労働契約が成立したとするも未だ始期到来せず、効力が発生していない。通常内定者は会社で勤労しているわけではない。「換言すれば、使用者と労働者の結びつきはそれほど強固ではないわけであるから、入社後の一般の従業員の場合よりは容易にこの結びつきをたち切ること(取消)を認めてよいであろう」(「採用と労務」八〇頁、山口浩一郎)ことは言うまでもない。

しかして、もし取消事由が内定時に判明していたら内定しなかつたであろうことが客観的に認められる場合すなわち社員としての適格性が否定されるような事由が存するときは、内定を取消しうることも言うまでもないところである(大阪高判昭和四八年一〇月二九日判決、電々公社近畿電通局旧事件)。

被申請人は、申請人に対し採用内定通知を発したのち一週間を経ずして、申請人についてつぎに述べるような各事由があつて従業員としての適格性に欠けることが判明したので、内定一週間後の昭和四八年二月一九日に申請人に対し採用内定取消を申入れたのである。

(二) 採用内定取消事由

(1) 学業成績の不良

被申請人の事業目的である「船舶用配電盤、監視盤等の電気機器類の製造」には高度の正確性、技術性が要請される。したがつて、これに従事する従業員の新規採用に当つては、その学業成績は重要な判断事項である。

申請人について学校から送付された昭和四八年二月一日付調査書には、一、二、三年の各欄に成績が記載され、三年次の成績は被申請人会社の業務に関係の深い数学、電気科を含めて軒並み最低の「2」という成績であつた。また、入学は昭和四四年四月一日、卒業見込は昭和四八年三月一日となつており、申請人が一年留年したことも明らかであつた。

被申請人としては、右の如き成績では到底採用することができないところであつたが、念のため学校に対し四年次の成績を問い合わせたところ、四年目はよいという返事であつた。

被申請人は、三年はともかく最終年次の四年の成績がよいならと学校の回答を信頼して採用の重要な判断資料にしたのであるが、「採用決定御通知」後、実は三年次は単位修得が全くなく、前記調査書で三年の欄に記載の成績が、実は最終の四年次の成績であることが判明したのである。

最終学年の成績が殆んど最低の「2」という全く劣悪なものであることが採用内定の時点で判明していたなら、被申請人としては、不適格者として絶対採用を内定しなかつたところである。

(2) 学内における暴力行為等の非行

前記調査書及び申請人提出の履歴書には賞罰に関する記載は一切なく、却つて右調査書には「自主性、責任感、協調性、積極性」において「すぐれている」との評価が記載されていた。従つて、被申請人としては、申請人について賞罰関係はないものと信じていたところ、昭和四七年初め頃無期停学処分に処せられ、それも学校教職員に対するつぎのような暴行等を理由とするものであることが判明したのである。

(イ) 此花工業高校では、昭和四七年一月中旬頃、「諸会費不払問題」に起因する混乱のため延期されていた二学期末試験を実施することとなつた。これは、三学期末試験のこともあり、余り遅延しては生徒の単位不足、卒業不能といつた支障を来たす、という配慮に出たものであつた。しかるに当時三学年の生徒であつた申請人らは、試験当日その実施を妨害すべく校門を閉めて坐り込み、受験するため登校してきた生徒を校内に入れず、立往生した生徒が門前にあふれる状況にあつた。

このような状況のなかで、止むなく教職員らが申請人らに対し校門を開けるよう説得のため赴いたが、申請人らは、右教職員に対し、足蹴りにしたり殴打する等の暴行を加え、その結果一教員には傷害を負わせるに至つた。

(ロ) さらに申請人らは同じころ職員室に乱入し、教員一人一人に対しつるし上げ行為を行い、また学校事務所に侵入して器物を破損すると共に、事務長に対しペン先をつきつけて脅迫するなどの行為をした。

以上(イ)(ロ)の行為はまことに学生にあるまじき悪質な行為であるが、これらの行為をしたことについては申請人自らもこれを認めているのである。例えば、一九七三年一二月五日付「新左翼」に掲載の手記(疎乙第六号証)において「この桑畑電機がわずか一週間の内に四十年一月の百貨店での万引、四七年三月の牛乳ドロボー、此花工高での諸会費不払い斗争、その斗いの中で教師を殴つた事、狭山差別裁判と斗つていた事、家庭の事情で一時家を出ていた事、そのことで親が学校へ来た事、………等の事をどこからか調べ出し……」と書き、末尾のところで「身辺調査のニユース源を必ずあばき出してやる」としながらも、同手記中に右各事実を否定する記載のないことからも、これらが真実であることは疑問の余地がない。

前記(イ)(ロ)の暴行等につき此花工業高校は、職員会議において申請人の具体的行為を確認の上、申請人を無期停学処分に付したのである(被申請人が学校関係者から聞いたところでは無期停学処分ということであつたが、仮にその名が無期家庭謹慎ということであつてもその実態において変りないものであることは疎甲第五号証の二、同第八号証の奥村紀子の陳述録取書によつて明らかである)。

右処分については、「指導に応じなかつたときは、退学処分にするという決定」までなされていたのである(疎甲第八号証)。これはいわば条件付退学処分の決定ともいうべきものである。こゝに指導に応じるとは、反省の実が上るということを意味することは言うまでもないが、申請人は右処分に対して反省の色を示すどころか、全く指導に従わず、登校して生徒の署名を集める等の活動を行つていたのである。

学校当局は、ともかく形式的に反省文を提出させることにより事を処理したのであるが、申請人が反省文を提出したのも、真摯な反省の結果に出たのではなく、「こゝまで来て学校やめんのんあほらしいということで、くやしいけど反省文出してもう一年やろうということにした」(疎甲第一二号証の二、裁判所における申請人の陳述録取書)に過ぎないのである。しかも申請人は、現在においてすら、反省すべきことはないと断言している(疎甲第一三号証の一)。

ちなみに、学校側は、申請人らを卒業させるべく、昭和四七年三月二一日から特別試験を認めたが、申請人は一日受験したゞけで、あとは欠席し留年するに至つたのである。

以上一連の学内における非行ないし学校の指導に対する態度は、被申請人会社の従業員としてその適格性を有しないことを物語つて余りある。すなわち、被申請人会社就業規則第八四条は、従業員が、他人に対し暴行脅迫を加えまたはその業務を妨害したとき(二号)、職務上の指示命令に不当に従わず職場の秩序を乱したり乱そうとしたとき(三号)は、懲戒解雇する旨規定しているのであつて、申請人の行為はもしこれが会社従業員であれば、直ちに右懲戒解雇に値するところである。しかも現在に至るまで、一片の反省もなきにおいてはなおさらというべきであろう。

以上の事実だけでも、判明しておれば、採用内定されなかつたことは客観的見地からも疑問の余地のないところである。

(3) 学外における品行不良

申請人は昭和四七年三月頃牛乳二本を窃取している。しかも窃盗はこれがはじめてのことではない。事は小なりといえども、(2)で述べた学内における暴行等の事実と照し合わせれば、申請人の秩序とか法とかに対する感覚が稀薄であることを十分窺わせ、自己の他に対する非行については反省せず自らにのみ寛容なのは明らかにモラルの低さを示すものといわなければならない。

また申請人は高校在学中、長期に亘り家出をしてその居所を明らかにしなかつたのであり、これは高校生としてふさわしくない行為である。

以上いずれも、被申請人会社従業員としての不適格性を示す事由である。

(三) 採用内定取消後の申請人の行為

被申請人としては、採用内定取消後も、その理由を説明し、申請人と誠意をもつて交渉を続けてきたが、これに対し申請人はつぎのような悪質な行為を継続した。

イ 被申請人会社と向い合せの小学校の入口で赤旗をたらし、赤はちまき、腕章姿で、マイクを使用し大声をあげて小学校の授業を妨害し、あるいは会社の制止をきかず工場内に侵入し作業場入口で、マイクを使用、作業を妨害した。

ロ 申請人を中心としてその同調者らが被申請人会社総務部長に対し、同人を会社の塀やガードレールに押しつけ、あるいはこずきまわす等の暴力をふるつた。

また本件仮処分申請事件に関して裁判所へ出頭しようとする庶務課長に対し「何のために出るのか、労働者をなめるな、おかしなことを言うと承知しないぞ」等脅迫的言辞を弄した。

ハ 申請人及びその同調者らは、昭和五〇年元旦早朝等に度々社長宅、専務宅、総務部長宅等へおしかけ、家の塀や電柱にビラを貼り、マイクでどなり、また社長らをつかまえて吊し上げる等の行為をした。

こうした行為に加えて、申請人は「飯代をへらし斗つている恨みは必ずはらす!不当解雇を必ず撤回してやる!身辺調査のニユース源を必ずあばき出してやる、血ぬられた桑畑電機の60年の歴史をくつがえしてやる!」と広く宣言しているのである(疎乙第六号証)。

採用内定後のこれら行為や宣言からしても、申請人が会社従業員としてふさわしくないことは一目瞭然である。

(四) 本件採用内定取消を正当づける補足的事実

最高裁判所は企業者が労働者を受け入れるに当りその思想信条についてもこれを調査することの適法性を認めているが(民集二七巻一一号一五三六頁)、現実には人物全般についての調査が行政指導等によつて著しく制限され、その他種々の圧力が加わるのである。大阪地区における右調査に関する制限の厳しさは相当なもので、高校新卒者の採用に当つても会社の十分な調査は許されず、わずかに学校と本人から提出される調査書、履歴書等の極めてとぼしい資料と面接によつて採否を決めざるを得ない実情にある。

従つて、採用内定後に内定者の適格性に関する新たな判断資料がはいることは考えられうるところであり、それによつて内定にあたつての判断を変更しなければならないことは当然予想されることである。

本件はまさにかような事案であつて、採用内定取消になんらの違法不当もない。

(五) 結び

以上いかなる点から見ても、申請人が被申請人会社従業員としての適格性を欠くものであること、本件採用取消の正当であることは議論の余地のないところである。被申請人としても当時ドルシヨツク不況のさ中にあつたもので、このような適格性を有しない申請人をまげて採用する余裕もないのである。

従つて、申請人の本件申請は全く理由がないから、却下を求める。

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